俗世灼く 炎天知らぬ 岩の苔

実験的にnoteと同じ内容を載せています。

【妄想】パラ開会式の片翼の飛行機は、パリパラリンピックへの引継式の伏線ですよ

※この文章は妄想です。信じないでください。

こんばんは。東京オリンピックの開会式閉会式はみんなボロカスに言ってましたが、東京パラリンピックの開会式はまずまず好評のようですね。
開会式に「片翼の小さな飛行機」っていうパフォーマンスがあったじゃないですか。車椅子の少女が演じる片翼の飛行機がみんなに勇気をもらって夜空へと飛び立つ話。

 

あれ、実はパリ五輪への引継式の伏線なんですよ。
彼女はパリまで夜空を飛ぶのです。
そう、大西洋を一人で無着陸で飛びきった、リンドバーグのように。
そして最後には言うのです。
「翼よあれがパリの灯だ」と。

あるいは何かのアクシデントで不時着し、星の王子様と出会うのです。
フランス人なら誰でも知ってるらしい、星の王子様にです。
そして彼の案内でパリに向かい、その道中で「目に見えない大事なもの」を知るのです。

はい、ここまで妄想です。
よい子は寝ましょうね。

 

 

 

 

 

小説家になろうとカクヨムに小説を載せることにしました

タイトルのまんまです。

hatenaと同じsensingrockとのハンドルネームで、小説家になろうカクヨムに小説を載せます。

 

小説家になろうマイページ

https://mypage.syosetu.com/2183583/

 

カクヨムユーザページ

kakuyomu.jp

お暇ならお読みいただけると嬉しいです。

基本情報は「持ってると有利」というより「持ってないと不利」な資格

基本情報を受ける意味ってある?基本情報を取らずに応用情報を取る人もいるよね?

 エンジニアの皆さま、情報処理技術者試験・支援士試験情報/令和3年度秋期試験申込みが受付開始になりましたね。私は応用情報を受けるつもりです。勉強に全く手が付きません。

 さて、今回は応用情報ではなく、基本情報の話をしようと思います。今年の春季試験で、私はトータル4回目の挑戦(そのうち1回は免除試験)で基本情報に受かりました。もっと詰めて勉強してたらもっと早く受かってたでしょうが、サボり魔なので勉強すること自体が困難でした。それにしても、本当は基本情報より応用情報の方が欲しかったので、やっと応用情報の対策に取り組めると安堵しています。

 さて、先ほどの「基本情報より応用情報の方が欲しかった」との箇所、違和感を覚えた方もおられるでしょう。基本情報じゃなくて応用情報を受ける方が筋だろう、と。実際、基本情報ではなく応用情報を先に受験する人もいますし、基本情報がCBT方式になってからは応用情報と同時受験する人もいたようです。しかし、私は様々な理由があって、基本情報を受けました。今回はまず基本情報を受けた理由を、受験理由を自覚した順に書いていこうと思います。

理由①自分が応用情報に受かるには基本情報を取ってからの方がいいと判断した

 私は最初、応用情報から先に受けていました。最初の職場では情報処理技術者の資格の取得が推奨されていましたが、資格手当がつくのは応用情報以上だったからです。そこで新卒1年目では応用情報の取得を目指しました。しかし、午前の勉強をするうちに解説を読んでもわからないことが多すぎることに気づきました。情報系出身者には理解できる内容でしょうが、私は生物系出身で情報系の知識はほぼありませんでした(だから私は文系エンジニアを自称しています)。

 そこでふと思いついて、基本情報の過去問や参考書を見てみました。当たり前と言えば当たり前ですが、応用情報とは打って変わって私にでもまだ理解できる内容ばかりで、より基本的なことをやっていると判断できました。そして、午前試験に関しては基本情報の中では難問レベルのものが応用情報では普通レベルとして扱われていると判断しました。

 そこで、
・基本情報合格レベルになってから応用情報に挑まないと自分がパンクする
・基本情報の内容を知ってからの方が試験勉強がしやすい
と考えて基本情報から受けることにしました。そして今やっと基本情報に合格して応用情報の勉強をしていますが、先に基本情報を取る戦略で正解でした。基本情報に受かってからの方が、苦痛を感じずに淡々と勉強に取り組めます。

 特にアルゴリズムや組込みシステム開発といった、基本情報の疑似言語が嫌いな人なら絶対に選択したくない分野に抵抗がなくなりました。私は疑似言語、つまりアルゴリズムが嫌いすぎて、恐れ多くも「アルゴリズム爆発しろ」と言いながら勉強していた罰当たり野郎です(後で罰が当たりそうで不安です。電気電子の神様ごめんなさい)。そんな人間でも落ち着いて勉強できるようになりました。気持ちの問題かもしれませんが、たとえ気持ちの問題だけでも大きいです。

理由②基本情報レベルの技術知識がないと業務で不利

 新卒3年目までは仕事がしんどいのは当たり前ですが、文系エンジニアは情報系出身者より技術知識がないので余計にしんどいです。どの工程でも情報系出身者の方が早く仕事が終わることが多いです。

 そこで文系エンジニアは自己研鑽するしかありません。では何を勉強するのか?案件や担当業務にもよりますが、私にとって基本情報午前試験の試験範囲は知らないと困ることばかりでした。それならもっとちゃんと勉強しとけと過去の自分に言いたいんですけどね。

 さらに私は上司やベテランエンジニアから「エンジニアの仕事ではアルゴリズムが重要!」と言われてきました。このアルゴリズムの勉強を避けては通れないのが基本情報午後試験です。入手しやすいアルゴリズムのわかりやすい教科書と言えば基本情報の疑似言語対策本なので、幅広い基礎知識よりもアルゴリズムの勉強をしたい人でも基本情報にチャレンジする価値はあると思います。ちなみに私はアルゴリズムは大嫌いだったので、後手後手になっていました...

理由③基本情報合格レベルの知識やスキルを身に着けることで、文系エンジニアは情報系出身者に近づける

 理由②でも文系エンジニアのことを書きましたが、ここでは文系エンジニアが情報系出身者に近づくためのいち手段について書きます。基本情報の勉強は情報系の学部・専門学校の授業内容と被っています。一部の情報系学部・専門学校では特定の科目を履修すれば基本情報の午前免除試験の受験資格、それどころか午前試験免除の資格が手に入ります。

 基本情報合格を1年度の目標に掲げている情報系専門学校のコースも存在します。はてなブックマークでバズって星が830個も付いた、このブログ記事にその詳細が書いてあります。

kirimin.hatenablog.com

ぼくの通っていた学科では、「入学した年の秋に基本情報に合格し、在学中に応用情報に合格する」というのを一応目標に掲げていたので、座学の授業は基本的に情報処理技術者試験のカリキュラムに沿って行われます。

 つまり、少なくとも基本情報(最低でも午前免除試験)に合格するだけのスキルと知識を身に着けることは情報系出身者に近づくことなのです。ひよっこ文系エンジニアはcisco製品を熟知しているなどの何らかの得意分野がない限り、基本情報レベルの勉強はした方がいいです。

 一方で、情報系出身者にとって基本情報は簡単なはずです。ノー勉で受けて合格した情報系出身者の話も何回か聞きました。だから基本情報を持ってない情報系出身者はちょっともったいない気もします。なお、ここからは愚痴になりますが、一部の情報系出身者から「基本情報なんか簡単なのに何で落ちるの?」と心ないことを言われたことがあります。甘えるつもりではないですが、文系エンジニアのバックグラウンドぐらいわかってほしいです。

理由④基本情報を持ってないと案件アサイン、人事考課や転職で「不利」になる

 この理由④はエンジニアとしての働き方やキャリア形成への影響度が大きいです。この記事の中で一番多くの人にとって大事な話かもしれません。私は基本情報を持ってないがゆえに痛い目にあったことがあります。待機中だったけれど基本情報を持ってないので案件のメンバー候補になれなかったのです。基本情報午後試験に僅差で落ちたばかりだったので余計に響きました。

 基本情報の有無は人事考課にも影響します。基本情報を持ってないので昇進できないとの話を何件か聞いたことがあります。資格の有無で昇給昇進を決めるのは時代遅れとの説もありますが、会社をやめたくないなら会社の方針に従う他ありません。

 転職でもそうです。いや、転職だとなかなかシビアな問題だと思います。私は転職時に基本情報を受けるかどうかはよく聞かれました。それだけならいいのですが、グループ面接で一緒だったアラフォー男性が「なんで基本情報を持ってないんですか」と他の転職者の前で激詰めされていました。見たくなかったです。彼がヘルプデスクや情シスのような幅広い知識が要求される職種を希望していたのもあるでしょうが、基本情報を持っていないことがここまで突っ込まれるとは思いませんでした。

基本情報は「持ってないと不利」な資格なので、よわよわエンジニアなら取っておいた方が無難

 さて、ここまで基本情報合格を目指した理由を書いてきましたが、これはあくまで私にとっての理由です。受ける理由、受けない理由は人それぞれです。例えば、インフラ専門でやっていきたい人は資格を取るならLPICciscoの認定試験を優先するでしょう。簿記や証券外務員などの業務知識系の資格試験以外は受けず、特定の言語のスキルを高めることに全振りする人にも会ったことがあります。

 また、応用情報の方が欲しいなら応用情報合格を先に狙う方法もあります。上司から「応用情報が難しいから基本情報を受けます、とは舐めてるのか」とお叱りを受けたことがあります。これは、「基本情報を持ってなくても努力すれば応用情報は受かるから、まずは初志貫徹で行こう」という意味だったのかもしれません。実際に、文系出身のエンジニアやコンサルタントでも基本情報を受けずに応用情報に受かる人もいます。中には基本情報なんか取る必要はないから、応用情報を取れというブログ記事を書いている人もいます。

 しかし、私が自分より若い人に「基本情報ってなんか持ってて意味あるんですか」と聞かれたら、「基本情報は持ってないことが不利になるケースがある。特に強みやポリシーのない人、エンジニアとしての実力に自信のない人なら取っておいた方が無難。」と答えます。突出した強みのないエンジニアやよわよわエンジニアを補強する資格が基本情報だと思うのです。

忖度してもいいけどやり方ってものがあるよ、東京オリンピック開会式

東京オリンピック開会式は下手な忖度だらけ


 東京オリンピック開催から数日経ち、日本がいくつかメダルを獲得してお祝いムードの今日この頃。もうみんな開会式のことなんか忘れていているかもしれない。けれども私は今回の開会式の気まずさと白けっぷりを忘れない。

 それもこれも主催者側の忖度が下手なせいだ。わざとらしい気遣いは気まずい。長ったらしい忖度アピールは相手の時間を奪いかねない。そして忖度しただけで不格好なようじゃお話にならないこともある。

橋本大臣の挨拶もバッハ会長の挨拶も下手な忖度をするから長くなる

 橋本大臣の挨拶は長かった。これは五輪関係者の一部が起こしたポリコレ上の問題への反省があったからだろう。全方面に配慮していることを伝えなければいけない。また、この開会式ではアスリートへの敬意を重視していたので、そちらの色も出さなくてはいけない。

 だから「私たち、色んな人たちの苦労や努力がわかってる!ポリコレ守ってる!」と忖度をアピールする挨拶になったのだろう。この点に私は同情する。内容や文字数が増えるのは仕方ない。しかし、もう少し短くできたはずだ。特に泣き真似は不要だ。「このおばさん、こんな感じでおっさん転がししてきたのねー」といらない想像までしてしまう。

 バッハ会長の挨拶はさらに長い。日本への言い訳がましい忖度を盛り込んだからだ。ジャパニーズと言うべきところでチャイニーズと言ってしまったので、日本人相手の点数稼ぎをしなくてはいけない。日本人受けしそうな言葉である「連携」を何回も使ってたのはそれだ。しかし、言い間違えた直後に重々謝った方が、日本人からの印象が悪くならないし、下手に忖度しなくて済んだのに。こんなところで言い訳されても気まずいのに。「このおっさん、くどい忖度で生き延びてきたんだなー」といらない想像までしてしまう。

パフォーマンスが全体的に退屈なのは忖度だけで終わっているから

 今回の開会式ではアスリートへの敬意や労いが重視されていた。序盤から開催延期から今日まで苦しみ、悩み、鍛錬してきたアスリートの姿を表現するダンスがあったほどだ。個人的には長野五輪のように伝統と名の付くものを歌舞伎以外にも見たかったが、「確かにアスリートあってのオリンピックだ」と感心した。最初のダンスはあってよかった。

 しかし、序盤のダンスも五輪懸垂のダンスもエンブレムを作るダンスも退屈だった。長過ぎる。あってよかったことと退屈だったことは別だ。現代舞踊はもともと意味不明かつテンポが悪いものが多いが、もっとテンポよく見やすいものにできたはずだ。解説をもっと丁寧にするように、放送権を持っているテレビ局に指示を出すのもありだった。解説が丁寧なら間が持つ。

 謎のコントも不要。同じコントでもオリンピックや東京にちなんだコントの方がまし。唐突なイマジンもIOCのねじ込みらしいけど、同じイマジンでもそれこそ現代舞踊で表現してもよかった。

 

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 パフォーマンスが全体的に退屈なのは、忖度したことさえ特定の相手に伝わればよいとの勘違いのせいだろう。国の安全基準を満たしてるけど全くおいしくない加工食品みたいなもの。

下手な忖度が裏目に出た、サウスパークのとあるクリスマス回みたいな開会式

 私はこの開会式を見てあるアニメを思い出した。アメリカの風刺アニメであるサウスパークだ。サウスパークはクリスマスがテーマの回に定評があるが、とあるクリスマス回に今回の開会式と通じるエピソードがあった。

 このクリスマス回では、自治体が町や役所にクリスマスツリーを飾ることや公立小学校でキリストの生誕劇を行うことに対して、市民が政教分離ユダヤ教徒への配慮を訴える。その結果、小学校の生徒たちはクリスマスシーズンの発表会で宗教性のない電子音楽に合わせて現代舞踊を踊ることになった。しかし、政教分離ユダヤ教徒への配慮を訴えていたはずの保護者からは酷い出し物だと不評だった。

 このエピソードはポリコレへの風刺だが、ポリコレや現代舞踊を批判するつもりで言及した訳ではない。気の遣い方が下手なことについて言いたかったのだ。有名な合唱曲を歌うなり、雪の女王など冬らしいお話を劇にするなりできたはずだ。それでは風刺アニメにならないが、リアルでされると悲しい。

 アスリートに敬意を表し、ポリティカルコレクトネスも重視する。心意気はよいけれど、多方面への気遣いが下手でおもてなしどころではなかった。

忖度するならするで他に方法はあったはず

 忖度はよくはないけど必要に迫られて仕方なく行う場合も多い。今回の開会式もどうもそうらしい。小池百合子の口利きで火消しと木遣りが演出に加わったなど、有力政治家からの圧力で出演した人や挿入された演出も複数あったようである。

bunshun.jp


 しかし、偉い人のご要望なら仕方ないこともある。そして何より、海老蔵の歌舞伎や王・長嶋・松井のトリプルレジェンド聖火リレー森喜朗の肝いりでも、結局みんな喜んでいたではないか。偉い人の口利きだろうと、結果として見ごたえのある演出なら世界中の人が喜ぶ。

 木遣りと火消は江戸文化枠・文化財枠として方針がよかった。小池案件とは言われても、せっかく東京でするんだから江戸文化も見てみたい。しかし、方針がよかっただけで演出は微妙だった。ダンサーや女優ではなく、本物の職人や保存会の人にお任せしてもよいではないか。長野五輪の木遣りでは、保存会の女性が男性に混じって木遣り唄を歌っていた。女性の活躍というなら、長野五輪での木遣り唄は十分クリアしている。

 また、これはどうしても書きたいのだが、うちの親が「神聖な材木の上で踊るのは罰当たり」「化粧の濃い人が踊ると、化粧品の粉が混じった汗が材木の上に落ちかねない」と怒っていた。同じ忖度演出でも、これはもっと頑張れたはずだ。

 

 まあ、「気遣いが下手どころか気遣いする気がない」と言われて、「あんたに言われたくない」と心の中で悪態をつく私が言うことじゃないんですけどね。

YouTubeで見られるパフォーマンスが芸術的な五輪開会式2選

好きな映画やドラマを聞かれて「ドラマじゃないけど五輪開会式のパフォーマンス映像を見るのが好き」と答えることがある

 今、五輪開会式に関する残念なお知らせが相次いでいる。そんな時は過去の五輪開会式でも見て気を紛らすのもひとつである。私は好きな映画やドラマを聞かれて、「ドラマじゃないけど五輪開会式の映像を見るのが好き」と答えることがある。国の威信がかかっている分ハイクオリティなのだ。

 そこでここでは、YouTubeで見られるオススメ五輪開会式、特に芸術的な開会式2選をご紹介したい。開会式の映像を公開してる個人チャンネルもあるが、オリンピックの公式チャンネルは全大会の開会式をノーカットで公開している。なので、ここではオリンピックの公式チャンネルの動画を紹介する。


 なお、私の好みの開会式はクラシカル、格調高い、作り手にハイカルチャーの素養が感じられる、などなので、ドローンだとかはあまり興味がない。平昌オリンピックのドローン五輪はさすがIT大国といったところだけど、個人的には韓国の伝統舞踊であるプチェチュム(扇の舞)で作った五輪の方がよかった。プチェチュムは誰が見ても華やかで、なんでやらなかったのかわからない。

 

芸術大国ロシアの壮麗かつ繊細なソチ五輪開会式

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 オススメできる開会式の筆頭と言えばこれ。音楽、建築、文学、バレエ、サーカス、ロシアアバンギャルドなど、芸術大国ロシアの文化の力が遺憾なく発揮されている。壮麗かつ繊細。閉会式も壮麗かつ繊細。ところどころ、ロシア帝国ソ連の栄光の裏側の血塗られた歴史や人民の嘆きを感じる箇所もあり、政治的な問題で配役が決まったとのどこかで見聞きしたような醜聞もあるが、それでも一見に値する。

 教養がわかる人にはわかる数々の小ネタが挟まれている。私は浅学なのでわからないことが多かった。でも開会式とは開催国に関する知識がないと面白くないものなのかもしれない。

 特にお気に入りは『だったん人の踊り』にあわせてロシアの大地をイメージしたフロートが現れるところから、雪の五輪が掲げられるところまで。この『だったん人の踊り』はマイベスト編曲。どこかで音源を買いたいくらい。ソチ五輪の音楽は大体お気に入り。こう書くと「個人的な音楽の趣味で開会式の良しあし決めてへんか?」と言われそうな気もしてきた...

 ちなみに私はナボコフが好きだが、冒頭のロシア語アルファベットの順にロシアにちなんだ単語が読み上げられる映像にもナボコフが登場する。そのことをこちらの記事に書く予定。もし書き上げられたら読んでいただきたい。

 

傾国の美しき神話と伝説、アテネ五輪開会式

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 高校の時にテレビで初めて見た時にはその幻想的な美しさに魅入られた。大人になってからネットで何回も見ることができたので、とても嬉しかった。幻想的で神話的。放送してよいとは言いづらい必要悪的なパフォーマンス、五輪以降のギリシャ経済の衰退など残念な話も付きまとうが、神話の世界を再現し、古代史も近代史も伝説のように表現する開会式はギリシャならではだろう。

 ギリシャとは縁もゆかりもなさそうなビョークが歌を披露していたが、神話や伝説が似合う歌手はビョークしかいないとなると納得の人選。間違って人の世界に生まれてきた神話の世界の人物だとしてもおかしくない人。

 特に圧巻なのは"Klepsydra(ギリシャ語で砂時計)"という、古代ギリシャ文明時代の像などの芸術品、ギリシャ正教の聖人像、近代ギリシャの軍人やオリンピアンに扮した人々によるパフォーマンス。視覚的にも美しいし、宗教的な雰囲気のBGMも幻想的。

 ヘレニズム文化の彫刻に扮したパフォーマンスはわかりやすく美しい。古代のオリンピアンに扮する青年たちは世界の美しい男性ベスト10に入るし、アテナ女神像に扮する女性も世界の美しい女性ベスト10に入る。ルネサンス期の人がギリシャ文化を喜んで取り入れるのも納得。

 

実は全大会の開会式を見てる訳ではないけど、五輪開会式は面白いコンテンツ

 さて、私は実は全大会の開会式を見ている訳ではない。だからご紹介できる開会式も2つだけ。それでも開催国の威信がかかった五輪開会式はかなり面白いコンテンツだ。醜聞だらけの東京オリンピックだが、それなりに面白いかもしれない。

 そもそもオリンピックなんか、どこの国でも醜聞なり悪評なり失敗した政策なりが付きまとうものかもしれない。それでも開催されるなら毒を食らわば皿まで。とりあえず面白がるのも一興だ。

 

お米櫃と一期一会

 あなたは家でご飯を炊くか?ご飯を炊くなら一度に何キロのお米を買うか?買ったお米はどのように保存するのか?私の実家では一度に半俵分、つまり30キロの玄米を買って、近所の精米所で好みの程度で精米していた。お米袋は高さ1メートルくらいの茶色くて丈夫な紙でできていて、何十年も前には最先端だった計量米びつに二人かかりで入れていた。結婚して実家を出てからは、月一で無洗米5キロをコープこうべの個別宅配で買っている。
 しかし、昨日生まれて初めてお米を1キロ買った。今回お米を注文し忘れたので、米不足に陥ったのだ。来週半ばにはコープこうべのお米が来るので、1キロあれば十分だと判断した。そこで近所の食料品店にたまたまあった、ハーブ米なるものを1キロを買った。久々の無洗米じゃないお米だ。しかもブランド米。普段なら買わない。
 帰宅後さっそくお米袋をハサミで切って、中身をお米櫃に開けた。条件反射的な作業を終えて気が付いた。お米袋の保存用チャックに。そのお米袋はそのまま立てて使えるほど丈夫なことに。

 私は今まで、お米袋は中身をお米櫃に入れる前提で製造されている、と思い込んでいた。実家でも今の家でもお米櫃を使っている。5キロの米袋をそのまま入れて使えるお米櫃もあるが、とりあえずお米はお米櫃に入れるものだと思い込んでいた。
 しかし、自分とは違うライフスタイルの人はたくさんいる。例えば、キッチンの狭いワンルームマンションで暮らし、ご飯は炊くけど毎日は炊かない人。お米は少しずつ買いたいだろうし、そのまま保存できるパッケージならお米櫃がいらないので省スペースだ。

 私は自分の固定観念に縛られて、お米袋ごとお米を保存する生活を経験する一期一会の機会を捨ててしまった。思い返せば固定観念に縛られたために失敗したり、よい経験をし損ねたことがあった。固定観念にはよい面もあるのだろうけど、縛られると一期一会の出会いを見落とすこともある。
 さて、肝心のお味はというと。無洗米じゃない方がお米本来の味が引き出されている気がした。無洗米のご飯はまずいと言っていた人の気持ちがちょっとわかった。無洗米でないかどうかより、ブランド米だからおいしいのかもしれない。でも便利でお手頃価格で宅配までしてもらえるコープこうべの無洗米を、相も変わらず買い続けるだろう。ハーブ米との出会いも一期一会だ。


ここまでお読みいただきありがとうございました。以下関連リンクのコーナーです。

今回食べたハーブ米の紹介記事。

xtrend.nikkei.com


今回買ったのとは違う商品だけど、島根県おおち地区のハーブ米。 

 

ラグビーチームみたいな名前のお米袋のまま入れられるお米櫃。


そのまま保存できるきぬむすめ(無洗米)。1パックからも買えます。

 

 

 

30キロのお米が入る軽量米びつ。

 

卓上でも使える5~6キロ用のもあるようで。

『おおかみこどもの雨と雪』が突貫工事に思えて仕方ない

 今晩の金曜ロードショー細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』。
感動するとの意見も、突っ込みどころだらけとの意見もあるが、その詳細についてはここでは書かない。それよりも、この作品で私が一番気になるのは、突貫工事で作られたとしか思えないことだ。
 何の事情があったかは知らないが、本来なら時間をかけられるところを急いで作ったように思える。明確な根拠はない。しかし、時間不足であったことが推測される部分はある。

 ひとつは影が省略されていることだ。例えば『時をかける少女』では木陰も人の影もちゃんと描かれていた。『バケモノの子』でも人間や獣人の影はしっかり描かれていた。
 しかし本作では、人間と狼人間の影が省略されている箇所が目立った。画面を見やすくするための工夫かもしれないが、時間がないから省略したとも思える。

 もうひとつは脚本や設定の突っ込みどころの多さだ。他の作品に比べたら突っ込みどころが多いのは、推敲や設定のチェックが甘いからではないだろうか。もうすこし製作に時間が取れるなら突っ込みどころは減っていたかもしれない。

 製作時間が本当に不足していたかもわからない。もし時間不足が本当なら、なぜ時間が不足したかはわからない(おそらく「家族で見られる映画を作れる宮崎駿の後釜」の名を早く定着させたいというのはあるだろう)。けれども私には、何かに間に合わせたくて急いで作った作品としか思えなかった。