俗世灼く 炎天知らぬ 岩の苔

実験的にnoteと同じ内容を載せています。

忖度してもいいけどやり方ってものがあるよ、東京オリンピック開会式

東京オリンピック開会式は下手な忖度だらけ


 東京オリンピック開催から数日経ち、日本がいくつかメダルを獲得してお祝いムードの今日この頃。もうみんな開会式のことなんか忘れていているかもしれない。けれども私は今回の開会式の気まずさと白けっぷりを忘れない。

 それもこれも主催者側の忖度が下手なせいだ。わざとらしい気遣いは気まずい。長ったらしい忖度アピールは相手の時間を奪いかねない。そして忖度しただけで不格好なようじゃお話にならないこともある。

橋本大臣の挨拶もバッハ会長の挨拶も下手な忖度をするから長くなる

 橋本大臣の挨拶は長かった。これは五輪関係者の一部が起こしたポリコレ上の問題への反省があったからだろう。全方面に配慮していることを伝えなければいけない。また、この開会式ではアスリートへの敬意を重視していたので、そちらの色も出さなくてはいけない。

 だから「私たち、色んな人たちの苦労や努力がわかってる!ポリコレ守ってる!」と忖度をアピールする挨拶になったのだろう。この点に私は同情する。内容や文字数が増えるのは仕方ない。しかし、もう少し短くできたはずだ。特に泣き真似は不要だ。「このおばさん、こんな感じでおっさん転がししてきたのねー」といらない想像までしてしまう。

 バッハ会長の挨拶はさらに長い。日本への言い訳がましい忖度を盛り込んだからだ。ジャパニーズと言うべきところでチャイニーズと言ってしまったので、日本人相手の点数稼ぎをしなくてはいけない。日本人受けしそうな言葉である「連携」を何回も使ってたのはそれだ。しかし、言い間違えた直後に重々謝った方が、日本人からの印象が悪くならないし、下手に忖度しなくて済んだのに。こんなところで言い訳されても気まずいのに。「このおっさん、くどい忖度で生き延びてきたんだなー」といらない想像までしてしまう。

パフォーマンスが全体的に退屈なのは忖度だけで終わっているから

 今回の開会式ではアスリートへの敬意や労いが重視されていた。序盤から開催延期から今日まで苦しみ、悩み、鍛錬してきたアスリートの姿を表現するダンスがあったほどだ。個人的には長野五輪のように伝統と名の付くものを歌舞伎以外にも見たかったが、「確かにアスリートあってのオリンピックだ」と感心した。最初のダンスはあってよかった。

 しかし、序盤のダンスも五輪懸垂のダンスもエンブレムを作るダンスも退屈だった。長過ぎる。あってよかったことと退屈だったことは別だ。現代舞踊はもともと意味不明かつテンポが悪いものが多いが、もっとテンポよく見やすいものにできたはずだ。解説をもっと丁寧にするように、放送権を持っているテレビ局に指示を出すのもありだった。解説が丁寧なら間が持つ。

 謎のコントも不要。同じコントでもオリンピックや東京にちなんだコントの方がまし。唐突なイマジンもIOCのねじ込みらしいけど、同じイマジンでもそれこそ現代舞踊で表現してもよかった。

 

bunshun.jp

 パフォーマンスが全体的に退屈なのは、忖度したことさえ特定の相手に伝わればよいとの勘違いのせいだろう。国の安全基準を満たしてるけど全くおいしくない加工食品みたいなもの。

下手な忖度が裏目に出た、サウスパークのとあるクリスマス回みたいな開会式

 私はこの開会式を見てあるアニメを思い出した。アメリカの風刺アニメであるサウスパークだ。サウスパークはクリスマスがテーマの回に定評があるが、とあるクリスマス回に今回の開会式と通じるエピソードがあった。

 このクリスマス回では、自治体が町や役所にクリスマスツリーを飾ることや公立小学校でキリストの生誕劇を行うことに対して、市民が政教分離ユダヤ教徒への配慮を訴える。その結果、小学校の生徒たちはクリスマスシーズンの発表会で宗教性のない電子音楽に合わせて現代舞踊を踊ることになった。しかし、政教分離ユダヤ教徒への配慮を訴えていたはずの保護者からは酷い出し物だと不評だった。

 このエピソードはポリコレへの風刺だが、ポリコレや現代舞踊を批判するつもりで言及した訳ではない。気の遣い方が下手なことについて言いたかったのだ。有名な合唱曲を歌うなり、雪の女王など冬らしいお話を劇にするなりできたはずだ。それでは風刺アニメにならないが、リアルでされると悲しい。

 アスリートに敬意を表し、ポリティカルコレクトネスも重視する。心意気はよいけれど、多方面への気遣いが下手でおもてなしどころではなかった。

忖度するならするで他に方法はあったはず

 忖度はよくはないけど必要に迫られて仕方なく行う場合も多い。今回の開会式もどうもそうらしい。小池百合子の口利きで火消しと木遣りが演出に加わったなど、有力政治家からの圧力で出演した人や挿入された演出も複数あったようである。

bunshun.jp


 しかし、偉い人のご要望なら仕方ないこともある。そして何より、海老蔵の歌舞伎や王・長嶋・松井のトリプルレジェンド聖火リレー森喜朗の肝いりでも、結局みんな喜んでいたではないか。偉い人の口利きだろうと、結果として見ごたえのある演出なら世界中の人が喜ぶ。

 木遣りと火消は江戸文化枠・文化財枠として方針がよかった。小池案件とは言われても、せっかく東京でするんだから江戸文化も見てみたい。しかし、方針がよかっただけで演出は微妙だった。ダンサーや女優ではなく、本物の職人や保存会の人にお任せしてもよいではないか。長野五輪の木遣りでは、保存会の女性が男性に混じって木遣り唄を歌っていた。女性の活躍というなら、長野五輪での木遣り唄は十分クリアしている。

 また、これはどうしても書きたいのだが、うちの親が「神聖な材木の上で踊るのは罰当たり」「化粧の濃い人が踊ると、化粧品の粉が混じった汗が材木の上に落ちかねない」と怒っていた。同じ忖度演出でも、これはもっと頑張れたはずだ。

 

 まあ、「気遣いが下手どころか気遣いする気がない」と言われて、「あんたに言われたくない」と心の中で悪態をつく私が言うことじゃないんですけどね。